体験と思考回想編

無能な世間知らずが一歩踏み出した1年目【沖縄移住Vol.1】

体験と思考
こんな1年だったという話
長崎の狭い世界に閉じこもり、家庭環境のストレスと将来への不安で身動きが取れない状態…
1年後
沖縄で視野を広げ、自分らしい居場所を見つけて前向きに生きる姿勢を獲得!

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沖縄移住
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このままじゃダメになる…

長崎の実家で過ごした18年間は、今思えば完璧すぎる温室でした。

よく世話をしてくれる両親に甘やかされ、何不自由ない生活。

でも、その居心地の良さが逆に僕を不安にさせていました。

気づけば世間知らず、常識知らず、一人では何もできない、人と話しても何か欠陥が見え隠れして相手を不快にしてしまう…

そんな状態になっていたんです。

「このままでは自分は世間知らずのまま腐ってダメになってしまう…」

そんな焦りが日に日に大きくなっていました。

加えて当時は両親が不仲で離婚寸前。

毎日のように喧嘩してギクシャクしており、家族も僕に当たることが少なくはなく、全てが不快でした。

コミュ障も完治しないまま、でも何かを変えなければいけない。

大学進学を機に、思い切って家から離れることを決めました。

場所はどこでも良かったです。

ただ、どうせなら一番楽しそうなところを選ぼうと思いました。

そうして選んだのが、沖縄でした。

沖縄という選択

沖縄を選んだ理由は、実にシンプルでした。

「楽しそうだから」。

深い理由なんてありません。

ただ、実家を離れたかった。

一人暮らしをして、自分を変えたかったんです。

恵まれた環境からの脱却は、ある意味で「逃避」だったかもしれません。

でも僕にとっては、必要な挑戦でした。

コミュ障を抱えたまま、知らない土地で一人暮らし。

不安でしたが、長崎にいたら人生が終わってしまう気がしていました。

「必ず話しかける」作戦

沖縄国際大学に入学した僕が最初に決めたルールは、「オリエンテーションや講義で隣の席に座った人には必ず話しかける」ことでした。

コミュ障の僕にとって、これは相当な挑戦でした。

心臓がバクバクしながらも、「沖縄の方ですか?僕は長崎から来てて…」「あの講義受けてます?あれ謎ですよね笑」みたいな感じで声をかけ続けました。

最初はぎこちなかったし、空回りすることも多かったです。

でも、続けているうちに残酷でもあり安心材料でもあることを知りました。

人は思いのほか他人に関心がなく、誰も僕になんて興味がないんですよね。

これにより安心して初対面の人に話しかけたりできるようになったんです。

そして少しずつ会話が弾むようになり、友達も増えていきました。

環境に飛び込んでみれば、意外となんとかなるものでした。

卓球部という「ガチ環境」

何かサークルにも入って仲間作りをしようと思い、サークル棟へ足を向けました。

高校時代に少しかじっていた卓球を思い出し、卓球部の扉を叩きました。

ところが、沖縄国際大学の卓球はサークルではなく、割とガチな部活でした。

僕の卓球経験といえば、高校の引退までの半年ほど。

しかも大学受験に失敗して一浪し、合計1年半ものブランクがある状態。

技術的には0からのスタートを切ることになりました。

孤独な大学生時代を送るか、コミュ障を克服して自分からコミュニティに飛び込み人間関係を切り開くか。

ある意味、いい環境に身を置くことになりました。

万年1回戦敗退の現実

大学時代の僕は、今以上に脳のスペックが低かったです。

周りがガチで卓球に取り組んでいる環境でも、あまり強くなることはできず、万年1回戦敗退のレベルで大学時代の卓球は幕を閉じることになります。

言い訳っぽくなりますが、そもそも僕は勝つことや強くなることよりも、他の人がやらないような不思議で面白いプレーで点を取ることに喜びを感じていました。

奇をてらったプレーを優先するあまり、勝てるものも勝てませんでした。

結局、そういう奇をてらったプレーでミスを重ねて負けるのはダサいと、友人の軽口により気付かされました。

社会人で卓球を再開した今では、奇をてらうことの優先度を少し落とすように努めています。

ちなみに今でも、奇をてらうことは好きですし、勝負事が嫌いなのはあまり変わってないんですけどね。

単身移住者としての成長

徐々にではありますが、着実に学部と卓球部での人間関係は広がっていきました。

最初は話しかけるのも緊張していた僕が、自然と笑い合える仲間に囲まれるようになったんです。

単身で沖縄に飛び込んだ身としては、よくやっていたと思います。

コミュ障の改善も、完璧ではないにしろ、確実に手応えを感じていました。

1年目を振り返って

沖縄移住1年目を振り返ると、「環境が人を変える」ということを身をもって体験した年でした。

1年前の自分は、長崎の温室で将来への不安を抱えていた世間知らずでした。

でも沖縄で過ごした1年で、少なくとも自分から人に話しかける勇気と、新しい環境に飛び込む行動力を身につけることができました。

卓球では結果を出せませんでしたが、それ以上に大切なものを得られた年でした。

友人たちとの出会い、一人暮らしの自立感、そして何より「意外となんとかなる」という自信。

これらはすべて、長崎にいては得られなかったものでした。

まだまだ未熟で、これから学ぶことばかりでしたが、沖縄での1年目は確実に僕を成長させてくれました。

あの時は2年目への期待に胸を膨らませていましたが、今振り返ると、それはまだまだ長い沖縄生活の始まりに過ぎなかったんですね。

後日談

この年に手に入れた“意外となんとかなる”という自信は、その後の僕の人生において大きな財産になりました。

そんな中迎えた2年目は沖縄の車社会という現実に直面し、運転免許取得に半年もかけてしまった結果…

2度目の卓球人生も早々に終了することに。

でも、そんな「無駄」とも思える時間の中で、人生を変える重要な体験や出会いが待っていました。

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