沖縄の車社会という現実
沖縄移住2年目。
1年目でコミュ障の改善に手応えを感じていた僕は、引き続き楽しい卓球部中心の生活を続けるつもりでしたが、沖縄は車社会で、周りの友人たちは全員といっていいほど車を持っていたため、周りに流されて免許を取得しようと思ったんです。
時間がある大学生であれば、予約が取りやすい時期にギュッと詰め込んで1ヶ月くらいで卒業する人もいるらしいですね。
でも僕は夏休みの宿題もダラダラやって長期間かけた挙げ句、結局終わらないタイプ。
案の定、運転免許を取得するまでに半年ほどかかってしまいました。
キャパの狭さが露呈した半年間
当時は今以上に複数のことを同時に進めるのが苦手で、キャパもありませんでした。
得意ではなく負担が大きいことをやろうとすると、すぐにいっぱいいっぱいになってしまうんですよね…
運転免許を取るまでの間は、大学の講義も休みがちだったし、卓球部にはあまり顔を出すことができませんでした。
何か気が乗らなくて。
そんな調子で卓球部から足が遠のいていったわけですが、大学3年も4年も卓球を続けるつもりだったので、まさかこの年が大学で卓球をできる最後の年になるとは思っていませんでした。
結果的に、この後の選択が僕の大学生活を大きく変えることになったんです。
人生初の自己投資との出会い
そんな中でも、涙ぐましいコミュ障の改善努力は続けていました。
ふと日課の散歩中に立ち寄った近所の書店で、雑談に関する本が目についたんです。
1,000円ちょっとの本でしたが、何となく購入してみました。
これでコミュニケーション能力が上がったら良いな…なんて成長した自分を想像してニヤニヤしながら。
僕が記憶している中では、少額とはいえ、自己研鑽のために身銭を切って行動したのは、これが人生で初めてでした。
自分の意志で研鑽系の本を購入して読むという行為そのものが、僕にとっては全く新しい体験だったんです。
劇的な変化を実感
「相手が身に着けているものを褒める」「前回の会話を記憶して話題に出す」など、本の内容を毎日少しずつ実践していくうちに、以前の自分と比べると信じられないほど人見知りも改善され、コミュニケーション能力も向上して、自己肯定感も高まっていきました。
この経験により、自己投資の重要性と楽しさを知りました。
たった1,000円ちょっとの本を買うお金と、それを実践する時間を割くだけで、実に何百倍のリターンを得て多大な機会損失を回避できたことを考えると、自己投資は素晴らしいものだと中毒になってしまったんです。
この体験を中途半端に記憶していたが故に、大学4年生の頃に大きな過ちに気づくことになるのですが、それはまた別の話。
まあそれを差し引いても、僕の人生における転換点の1つでした。
ここから僕の自己投資が加速していくことになります。
気まぐれな誘いと新たな出会い
大学2年の後半、運転免許は期間を延長して追加料金を払いつつも、何とか合格しました。
ちなみに運転免許は、この後たった数年で更新忘れにより失効することになるんですが、その話に僕は興味がないので割愛します。
さて、自動車学校に行くという理由で卓球を休んだは良いものの、自動車学校に行くモチベーションも上がらなかったので家でゆっくり過ごそうと思っていたその時、大学1年の頃に同じゼミに所属していた疎遠気味の友人から連絡があって遊びに誘われました。
ここでもそうですし他の回想編の記事でも、自動車学校や公務員予備校に行くと言って卓球部を休んだものの、結局モチベーションが上がらず何もせずに1日が終わる…
なんてクソムーブをする描写が出てきますが、こういうのを公にしているだけあって今はこのマインドは改善されています。
まあ僕の親は雨が嫌いで、天気が崩れたら仕事を休むような自由人だったので、この親あって、この子あり…です。
そこで知り合ったグループと残りの大学生活は仲良くすることになり、8年ほど経つ今でも仲良くしています。
人生って、こういう偶然の出会いが大きな意味を持つんですよね。
青ざめた瞬間
初めて遊びに誘われてグループのメンバー数名と顔合わせした時に、メンバーの数名が間もなく公務員試験対策の予備校に通い出すという話題になり、僕の顔はサーッと青ざめました。
この瞬間まで何故かすっかり忘れていましたが、僕はそもそも親に公務員になると言って大学に進学させてもらっていたんです。
本当に、何で忘れてたんでしょうね、今でも当時の僕が理解できません。
思い出した時には結構まずい状態で、僕は大学を卒業するために必要な単位を4分割して、4年かけてゆるゆると取得していく計画だったため、他の人達とは違い、公務員試験対策にコミットする余裕が残されていませんでした。
卓球との突然の別れ
しかしそんなことは言い訳にできないので、そこから僕も予備校に通いながら、大学の単位取得も並行して頑張っていくことになりました。
これにより、卓球をする余裕は全くなくなってしまいました。
2度目の卓球人生は、わずか1年半程で幕を閉じることになりました。

まあ2〜3年もしたら卓球は再開できるでしょ!
くらいの気持ちだったので、残念な気持ちはありましたが折り合いを付けることはできました。
でも、まさか再開するのが8年も後になるとは当時は思ってもいませんでした…
その8年後以降の話は以下の記事にまとめています↓
ちなみに今だからこそ言いますが、正直公務員には興味ありませんでした。
ただそろそろ進路を決めなくてはならず、親に何かしらの答えを出す必要に迫られた手前、それっぽい回答を返しておいたに過ぎません。
しかしその選択が、この先1年近くの期間を苦しいものにすることになります。
ただ一方で、この時の経験が今を形作ることになるんです。(これは沖縄移住4年目以降の僕の動向をお楽しみに)
このときは何も考えずボーッと生きていましたが、運良く当たりを引くことになりました。
2年目を振り返って
沖縄移住2年目を振り返ると、半年ほど卓球から離れて緩く生きたからこそ、重要な気づきを得られた年でした。
2年前の自分は、お金を自分の成長のために使うという概念すらありませんでした。
でも1冊の本との出会いが、自己投資の威力を教えてくれたんです。
また、疎遠だった友人からの誘いがきっかけで、今でも続く友情を築くことができました。
2度目の卓球人生が早々に強制終了となったのはショックでしたが、限られた時間の中で優先順位をつけるという現実的な判断を迫られる経験でもありました。
当時は(100%自分が巻いた種とはいえ)辛かったですが、今振り返ると、これらすべてが必要な経験だったように思えます。
運転免許に半年もかけて、結果的に卓球からも離れることになった。
でもその「無駄」があったからこそ、自己投資と親友たちという、人生にとって本当に大切なものと出会えた1年でした。