帰宅部という名の現実逃避
沖縄移住3年目は前年の流れで公務員予備校に通って、公務員を目指して奮闘する期間になる…はずでしたが、現実は違いました。
公務員試験対策という名目で卓球部を実質的に休部し、幽霊部員になったのは良いものの、今ひとつブーストがかからず、予備校に行ったのは最初の数回だけ。
程なくして卓球部にも予備校にも行かない、ただの帰宅部に成り下がってしまいました。

まあ周りのように必死になって予備校に行かなくても、試験に合格できればいいでしょ!
そう考えをシフトして、僕は人間の記憶定着から逆算した独自の勉強方法を考え出して、その方法をゆるゆる進めながら合格を目指していました。
同時に、大学を卒業するための単位取得も最低限の活動で進める予定でした。
ちなみに単位取得は大学4年の最後の最後まで苦戦することになります。
これは僕が無能だからということにしてもいいのですが、正直家を出て大学に向かい講義を受けるのが面倒だったり億劫だったりして、出席回数が足りなかったり、課題を出さなかったり試験を受けなかったり…そんな感じで単位を落とし続けていました。
今となってはお金を出して大学に通わせてくれた親に本当に申し訳ないです。
ただ僕という人間は、本当にやりたいことじゃないとできないし続かないんだなと再確認する機会にもなりました。
自己投資の継続と独自戦略
そんな中でも、大学2年生の時に経験した自己投資の成功で味をしめて、読書は継続していました。
大学を卒業して一時沖縄を離れる際に本はあらかた捨ててしまいましたが、自己啓発系や投資系の本など色々読んでいました。
1冊1,000円程度の投資で人生が変わるという体験の威力は、この頃の僕にとって魔法のようなものでした。
そして公務員試験対策についても、僕なりの戦略を練っていました。
簡単に言うと、直近数年分(確か10年くらい)の過去問の要所を抽出して、それを高速で何度も繰り返し見返せるように自分専用の教材を作り、記憶定着において重要なタイミングで見返す方法です。
この教材を作るために、毎日少しずつ、過去問からPCにタイピングしてデータを加工し移していました。
予備校に通わない分、この独自教材で勝負しようと考えていたんです。
半年近くかけて、着実にデータを蓄積していきました。
半年の努力が一瞬で水の泡
そんな頑張っているのか頑張っていないのか今ひとつ分からない状態が続く中、大学3年生の終盤で、公務員試験対策に関して問題が発生しました。

ちょちょちょ、ちょっと待て…
無い、無い…無くし……無く…した……!?
ある日、データを保存していたUSBが紛失する事件が発生したんです。
いくら探しても見つからない。
部屋中ひっくり返して探しても、大学でも探しても、どこにもない。
公務員試験本番まであと数ヶ月といったタイミングで、実質ノー勉で周りから圧倒的に出遅れた哀れな馬鹿が一人誕生することになりました。
正直、絶望を超えて絶望でした。
半年近くかけて準備してきた計画がいきなり水の泡と化したわけですから。
公務員試験を諦めようとも思いました。
そもそも公務員になりたいわけでもないし、特にやりたいこともないけど適当な会社の正社員として働くルートでも良いやと思っていたので。
適当に受験して、親には不合格だったと伝えて、それで終わりにしようかと。
そんな自分への言い訳と逃げ道を用意し始めていました。
追い打ちをかける現実
そんな絶望的な状況の中、僕が受験を予定していた公務員試験の模試が行われました。
確か試験本番の3ヶ月前、つまり大学3年生の最終盤でのことです。
USBデータを失った状態での模試。
当然ながら、あまりに問題が理解できず、とんでもない点数を記録しました。
あまりの分からなさに、開始15分で会場を退室。
帰宅後に時間をおいて回答して自己採点したところ、120点中、確か12点。
赤点中の赤点でした。
ちなみに僕が受験予定だった国家公務員一般職は、通常の公務員試験とは異なり、40点満点の試験2つではなく、片方の配点が2倍になって合計120点満点という特殊な形式でした。
それでも12点は酷すぎる結果でしたが。
後に友人たちには「鉛筆転がした方がまだ点取れるでしょ」と笑われる始末。
もう完全に諦めモードでした。
引くに引けない宣言
しかし、諦められない出来事が起きました。
僕は高校受験でも失敗して一浪させてもらっている身なので、その数年前より少しでもマシになったところを見せたいという気持ちや、単純に親に申し訳ないという気持ちがありました。
そして仲が良いグループのメンバーの一人と話していた時に進路の話題が出た際に、こんなやり取りがあったんです。

予備校に通って公務員試験の対策してる人って凄いね。
本庄は公務員試験に落ちたらどうしようとか思わないの?
そう聞かれて、つい言ってしまいました。

怖くないよ。
イケるでしょ、だって俺だもん。
謎の返しをしてしまい、後に引けなくなったのが決め手だったかもしれません。
それで落ちたら恥ずかしくて死んじゃうので。
当然合格する自信なんて全くなかったものの、強がりたかったのか、その人がいつも自己否定的なので、僕ごときでもやればできるってところを見せて、自分にもできるかもと思ってほしかったのかもしれません。
背水の陣の決断
そこから家に直帰して、頭を抱えました。
だって実質ノー勉だもん。
大学受験で一浪したという僕の背景からも分かる通り、高校までの成績も褒められたものではなかったし。
でも何か爪痕を残そうと思い、公務員試験の全てに合格しないまでも、筆記試験だけは合格してみせようと決めました。
そう決めてからは頭を抱えながらも、「本当にもう無理なのか?」「何か起死回生の手はないか…」と頭を悩ませた結果、2つの賭けに出ることにしました。
1つは大学4年生の前期は履修登録をほぼ0にすること。
もう1つは、寝る時間も削り外界との繋がりも遮断して公務員試験対策に全てを費やすこと。
もう後がない状況でした。
模試で12点という現実を突きつけられ、友人には大口を叩いてしまった。
USBデータは戻ってこない。残された時間もわずか。
でも、諦めたくありませんでした。
今思えば無謀すぎる判断でしたが、当時の僕にとっては本試験までの3ヶ月弱という僅かな期間が最後の希望でした。
3年目を振り返って
沖縄移住3年目を振り返ると、計画性のなさと甘さが露呈した年でした。
3年前の自分は、長崎の温室で何も考えずに過ごしていました。
1年目で環境を変える勇気を得て、2年目で自己投資の重要性を学んだ。
でも3年目で思い知らされたのは、中途半端な努力では何も成し遂げられないということでした。
予備校に通わず独自の方法を選んだのは良いとして、そのデータ管理すらまともにできていなかった。
USBの紛失なんて、バックアップを取っていれば防げた問題です。
友人に強がってしまったのも、結局は自分の弱さの裏返しでした。
でも一方で、この絶望的な状況に追い込まれたからこそ、本気で何かに取り組む覚悟が生まれたのも事実です。
模試で12点を取った時の屈辱感、友人に大口を叩いてしまった後悔、親への申し訳なさ。
これらすべてが、僕を次のステップに押し上げる原動力になりました。
3年目は失敗の連続でしたが、その失敗が4年目での本気モードへの切り替えスイッチになったんです。